どうもーーーー

やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
- 作者: アンジェラ・ダックワース,神崎朗子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/09/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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こちら読んでますがなかなか面白い感じです。
彼女は紆余曲折あって心理学者になったんですね。
私もアカデミックな世界にいつか入ってみたいものです。
今やってるスタートアップを成功して足を踏み入れてやる
さてタイトルですが、GRITにて以下の考察があります。
たとえば 、先日ラジオを聴いていたら 、あるコメンテ ータ ーがヒラリ ー ・クリントンとビル ・クリントンを比較してこう言っていた 。ふたりともコミュニケ ーション能力が抜群に高い 。しかし 、夫のビルが生まれながらの政治家であるのに対し 、妻のヒラリ ーは無理やり政治家になったようなところがある 。ビルには天賦の才があるが 、ヒラリ ーは努力家だ 。遠回しな表現だが 、要は 「ヒラリ ー (努力家 )はけっしてビル (天才 )にはかなわない 」と言っているのだ 。私自身も 、気がつけば同じようなことをしている 。あっと驚くようなすごい人を見るとつい 「天才だ ! 」と思ってしまうのだ 。まったく情けない ─ ─その裏にどれほどの努力があるか 、わかっているはずなのに 。私たちの頭のなかは 、いったいどうなっているのだろうか ? 「才能 」に対する無意識の先入観は 、どうしてこうも根深いのだろう ?
まだこの先は読んでないのですが、やはり人が有能な人を見つけた場合、才能という言葉で自分の劣等性にひとまず説明をつけるのだろうと考えます。
私だって才能さえあればあれぐらいはできる
才能がないからできなくても仕方ない
才能がないということで努力を避ける特権を得る
弱いというのは強みです。
弱くあることで動かないための言い訳にできますから。
そして弱者である限り他者からの批判はありません。
成功者、つまり自分より努力を積み重ね能力の高い人を見たとき人はあくまで意識的判断でその人の努力を見ないようにするのである。
太古の人類で考えるとどうだろうか。
狩りの上手い他人を見て、あいつは生まれつき身体能力が高いからと卑屈になっていたであろうか。
才能とはいつからの概念なのか。
興味は広がるばかりである。
重要そうなのは、人は認められたいということ。
そして本源的に良くあろうとします。
しかしそれがうまくいかないとき、人は悪くあろうとする。
何かこれに関係するような感じがします。
読み進めてみます。
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