どうもーーー
昨日はディズニーシーに行って参りました。
今までテーマパークを楽しむことが苦手だったのですが、昨日は楽しむことができました。
これが最後の遊びです。
7月を終えれば馬車馬のように働く日々です。
メキシコ人の彼女と会うのは何ヶ月後になるのでしょうか。
年末に会えるかな?
さてタイトルですが、最近はアドラー心理学について共に議論している友人と、彼の彼女をテーマに話し合うことが多いです。
アドラー心理学において愛とは自分が勇気を持って決意し、覚悟を持って行う約束なのだと解釈しています。
つまり、もしそれが愛ならば、いかなる困難をも相手への絶対的信頼(とそれをしている自分への信頼)によって乗り越えるものなのです。
とすると、たとえパートナーが距離を置くような行動を取ってきたとしても、それを受け入れて相手を信頼することが必要になってきます。
そのような困難を乗り越えてこそ、関係の距離と深さが強化されていくのです。
しかしほとんどの人は、何か困難があると投げ出したり、相手のせいにします。
相手が尽くしてくれる保証がなければこちらは尽くさないという判断です。
これは合理的に見えますが、落とし穴があります。
それは、そのような保証を求める思考はつまり相手への疑いがベースとなっていることです。
または献身的に尽くすことで自分が傷つくのを恐れていることが理由となっています。
自分が尽くしても相手はどうかな?
こういった疑いをベースに関係を発展することはできません。
恋愛関係や結婚といった区切りはゴールではなくスタートでしかないし、困難を乗り越えていかねばならないのです。
ちなみに愛とは
愛する技術
であり
愛される技術
ではありません。
誰かにあなたを愛してもらうことを強要はできません
しかしあなたが誰かを愛することはできます。
あなたが誰かを愛せば、そのあと相手があなたを愛してくれるかは相手の課題であり、つまり自分が愛す決意をした時点で愛が始まっているのではないでしょうか。
そう考えると、
恋愛は自分が愛する約束を破らない限りは終わりはない?
という疑問が浮かんできます。
決して相手から1年連絡がこまいが愛し続けることはできます。
当然あなたがハッピーであることが重要ですから、あなたがハッピーになれないのであれば降りてしまえばいいのですが。
それは愛の課題を放棄するというよりは、すぐ新しい愛に向かって走り出すという点では愛の課題においての成長だととらえられます。
書いて見るとすっきりしました。
友人にぶつけてみます。